最高位戦 八百長疑惑

 「最高位」とは、麻雀界の中でも歴史があり最も名誉あるタイトルと言えるかもしれません。ちなみに、2011年の第36期最高位のタイトルを獲得したのは、テレビ対局でもおなじみの石橋伸洋です。

 1980年の第5期最高位戦決定戦で事件は起こります。それは麻雀界を揺るがすほどの大事件でした。決定戦に進出したのは田村光昭、畑正憲、灘麻太郎、荒正義、小島武夫の5名のプロ。このうち小島は25回戦を終了した時点で最下位のため足切りとなっており、残り4人の争いとなっていました。

 26回戦終了時点で田村が+164.5とダントツ状態、以下灘が+17.6、畑−31.7、荒−42.3と続きます。迎えた27回戦オーラス時点でも田村が34,400点のトップ、以下荒33,400、畑28,100、灘24,100と続きます。荒の9巡目の手牌が以下。

  (チー)  (ポン)  ドラ

 当時の最高位決定戦は35回戦で戦われました。首位の田村とは大差でトータル4位の荒ではありますが、この手をアガればこの半荘トップ、さらにトータル3位に浮上。十分に最高位のタイトル獲得を視界に入れられるという状況です。しかし、9巡目に灘がツモ切りしたドラのを荒は見逃しました。結局田村がタンヤオのアガリを物にし、この半荘もトップ。さらに差が広がるという結果になりました。ちなみに、ドラを切った灘の手牌は以下の通り。

 ピンフのみという凡手の1シャンテン。誰がどう見ても、ドラを切り飛ばすような手ではありませんでした。しかも灘はを3巡目に切っているため、フリテンになる可能性すらあったのです。灘と荒は師弟関係にあった(灘は荒の師匠にあたる)ことから、灘は荒が当たれないと承知の上でドラを切り、荒も故意に見逃したという八百長ではないかと疑われました。

 この事実を主催者であった竹書房(近代麻雀)は問題視し、最終的に灘と荒は失格処分。その時点でトップだった田村が第5期最高位となりました。これを不服とした灘・荒・小島らが中心となって1981年に日本プロ麻雀連盟という新しい組織が生まれたのです。ただし、新団体設立の構想自体はこの「事件」以前からあったようです。

 ハッキリしていることは、灘が切ったドラのを荒が見逃す理由はどこにもない(まともな麻雀打ちであれば、間違いなくアガる)という点です。不自然すぎます。八百長と疑われて仕方のない行為でしょう。日本プロ麻雀連盟は「八百長ではない」と主張していますが、いまだにこれといった根拠を示していません。「八百長はない」と繰り返しながら、結局後日に八百長が発覚した日本相撲協会を思い出しますね。

 ちなみに私は「根拠を示してください」と連盟にメールを送りましたが、無視されたままです。よって、私は上記の件は八百長であると認定します。連盟側が(誰もが納得できる)根拠を示さない限り、この事実は覆りません。

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