多様性を認めない連盟の体質

 2014/3/11up

 囲碁や将棋に棋風という言葉があるのと同様に、麻雀には雀風という言葉があります。メンゼン高打点の雀士もいれば、鳴きを多用するプロもいて、アナログ派もデジタル派もいる。色々な雀風の人がいるから、テレビ対局は面白いのです。ところが、日本プロ麻雀連盟(以下「連盟」と書きます)の重鎮だけはそういった多様性を認めず、自分の麻雀観と合わないプロはニコニコ生放送などで容赦なく攻撃の対象になります。侮辱とさえ言えるかもしれません。

 2011年の十段戦では小島武夫が堀内正人のことを「素人」と侮辱し、2013年の十段戦では森山茂和が堀内のことを「堀内君は僕に言わせると、アマチュアの延長でしかない」と見当違いの「悪口」を浴びせました。囲碁や将棋だと、NHKはもちろんですが、それ以外のテレビ対局でもここまで傍若無人に解説者が対局者を侮辱するシーンを見ることはありません。こんな有様ですから、いまだに麻雀のことを「怖い」と感じる一般市民が多いのです。

 このサイトでは幾度となく説明しておりますから詳細は省略しますが、小島や森山は自分が信じる打ち方のみを是とし、それ以外の打ち方は徹底的に批判するというやり方で生きてきました。ちなみに小島と森山は、その「自分の信じる打ち方」とやらで連盟内の主要タイトルを獲得した経験は一度たりともありません。唯一森山が30年以上も昔の1981年に王位を獲得していますが、当時は王位戦が分裂中の上に連盟の主催ではありませんでした。現在の王位戦は、連盟のGIタイトルのひとつです。

 プロなのですから、結果だけでなく内容も求められる。これが小島・森山の言い分であり、これ自体は私も否定はいたしません。しかし裏を返せば、内容だけでなく結果も求められるとも言えます。だってプロなのですから。例えばプロ野球選手が「俺の打率は1割台だけど、バッティングフォームは俺が一番美しいんだぜ。みんな俺のスイングを真似しろよ」と真面目に主張したらどうでしょう。「お前は馬鹿か」の一言で切り捨てられるのがオチでしょう。打撃内容も素晴らしく、しかもちゃんと結果も残す。これが一流の打者です。

 鈴木達也プロは「卓上のファンタジスタ」の愛称で親しまれ、比較的手役を重視するタイプでファンを魅了する楽しい麻雀を打つだけでなく、日本プロ麻雀協会の最高のタイトルである雀王を4度獲得するなど、結果もきちんと残しています。これに対し小島の麻雀は過度な手役狙いで手作りがモタモタと遅く、他家に先攻されてベタオリして点棒を削られる。この繰り返しなのですから強いはずがありませんし、アガリも少ないので見ていて楽しくもありません。

 麻雀はフィギュアスケートや体操などのような採点競技ではないのです。今さら私が言うまでもなく、点棒の多寡で勝者と敗者を決める競技です。半荘1回で強者を決めることはできませんが、同じメンバーで半荘10回以上も打てば、たいていは強い者が勝つのです。小島や森山が連盟でそこを勝ち抜いた経験がないということは、彼らの打ち方に明らかに問題がある以外の何物でもありません。

 小島や森山が何十年もそういったタイトル戦を勝ち抜いた経験がないのに対し、当時26歳の堀内は十段戦を勝ち抜いた経験を持ちます。ということは、堀内の打ち方のほうが優れているのは明らかでしょう。しかし小島や森山は、そんな堀内の打ち方を「素人」だの「アマチュアの延長線上」だのと、意味不明な批判を展開しています。連盟のタイトル戦はいつから採点競技になったのでしょうか。勝者の価値を認めないのなら、もはや連盟のタイトル戦の存在価値はありません。既存のタイトル戦はすべて廃止して、採点競技として新しいタイトル戦を創設するべきでしょう。

 アナログ派だけを良しとし、デジタル派は異端児として切り捨てられる連盟。テレビ対局のモンド杯では、連盟はタイトル経験がある上に連載もあって人気プロである堀内を出演させようとはせず、何の実績もないがアナログ派であり理事の1人でもある山井弘を出場させ続けています。連盟上層部のお気に入りなのでしょう。あげくに、映像でも分からないような堀内のほんのわずかな溜め息に対して難癖をつけ、不当な失格処分を命じました。福地誠先生のブログによれば、1月の理事会では「議題として取り上げるのを忘れたから」堀内への処分が決まらず、3月の理事会に持ち越しになったそうです。「それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?」という声が聞こえてきそうです。

 この手牌は、福地先生の良著である「麻雀の正解」からの抜粋です。子の2巡目の手牌、上家から出たをチーするか否か、という問題です。小林剛プロ、独歩氏の見解はチー。たしかにチーするのが現在の主流でしょう。ベテラン・金子正輝プロの見解は「私はチーしないが、してもおかしいとは思わない」というものでした。

 この短い一言に、金子の本質が見えてきます。金子は麻雀の多様性を認めているのです。研究熱心な若手の麻雀をよく理解し、麻雀には色々な打ち方があることをよく認識していることの表れです。多様性を一切認めない森山だったら「ここでチーしてもアガリが遠く、手牌が短くなり守りにくくなる。仕掛けた後にオリるのは、仕掛けに責任を持っていないということ。プロ失格」とでも書くのでしょうか。

 これは微妙な手牌で、鳴いても鳴かなくても正解だと私は思います。ただ、ここでを見送った場合、この手牌をアガりきるのは相当難しく、中盤以降にベタオリを余儀なくされる可能性が高いことは覚悟する必要があります。なので、今の私ならチーをすることのほうが多いです。

 将棋や囲碁などあらゆる競技において、技術は日進月歩です。戦法にも当然盛衰があります。例えば将棋を例にとりましょう。「居玉は避けよ」という古来の教えを無視した「藤井システム」や、後手番なのにさらに一手損をする「一手損角換わり」のような戦法が流行しています。藤井システムのほうは有力な対策が次々に登場したため最近下火ですが、一時は猛威を振るったものです。一手損角換わりは、いまだにタイトル戦でも登場する有力な戦型です。

 脳内時計が30〜40年前で止まってしまっている小島・森山だったら「居玉なんてあり得ない」「一手損するなんてあり得ない」の一言で終わり、プロとして進歩しないのでしょう。しかし将棋界では、ベテランプロでもこういった戦法に理解を示すのが当たり前なのです。理解しなければ、取り残されてしまうだけの話です。実際に小島や森山は、もう取り残されています。2011年に森山、2013年に小島が「スーパーシード」がある十段戦で決定戦まで出てきましたけど、何のいいところもなく惨敗を喫しました。

 メンゼン高打点だけを良しとし、手役を作ることを絶対と信じる小島や森山は、もう打ち手としてこれ以上進歩することはないでしょう。多様性を認めることは自分自身の成長にもつながるのに、まったく惜しいことです。一方の金子は、最高位のタイトルを4度獲得した超強豪ですが、当時とは打ち方も考え方も変わっています。だからこそ今でもAリーグに在籍し、昨年も決勝進出一歩手前まで行くほどの活躍を見せているのです。

 モンド杯や麻雀最強戦といった、圧倒的な数的優位が確保される場所以外での他団体との対局から逃げ続けている連盟(他団体主催のタイトル戦に参加するプロはいますが)。森山が会長から退くまでは「鎖国」が続くのでしょうが、いざ開国してみたら他国との技術力の差が歴然としていた、なんてこともあり得るかもしれません。

HOME